2024年1月14日日曜日

 昨年、私の親に予期せぬ事が起こった。

幸いにも、近くにいる妹が支えてくれているが、海外にいる自分がいかに力になれないか、そして今後やってくるだろう介護について、はじめて思い始めた。
そんな時、敬愛する岩城あすかさんの記事が目に入った。
箕面市の多文化交流センターの館長で、外国人との共生や差別、いろんな困難を、ユーモラスな活動で支えているあすかさんが、
身体障がい者の身体表現を芸術として展開する集団「態変」を主宰する金滿里(キム・マンリ)さんとの対談から、「介護」につうて考える内容だった。
ぐんぐん惹きつけられた。何よりも、「介護」を通して見えるてくるのは、未知なる自分 というトコロだ。
親だけでなく、私もどんどん衰えている。出来なくなり、見えなくなり、不安で、怖くて、けれど今までとは違う風に毎日が見えたりして面白さを感じる時もある。 助け合うことって、迷惑をかけあう豊かさって何だろうって、私も考えたいと思う。
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滿里さんのことば:
「人間が存在することの意味が180度変わらなくてはならない。二本足で歩くものだけが人間ではない。むしろ少人数といわれていても、地べたにはいつくばって、寝てゴロンとしている、地面に一番近い人、という存在から、人間の価値をつくりなおさないといけない。」
「施設」は社会の小市民たちが、ぬくぬくとした自分たちの生活を守るための安全弁。障碍を持つ人が施設に入れられる選択肢しかない現実を作っている一員だというのを直視すること。
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 2023年 クリスマスと年越し

賑やかな街の12月は、逃げ出したくなる気持ちになる。
大学4年の時、大晦日に岩手へ一人鈍行列車で向かった。泊まったユースホステルのお母さんは、私が散歩する度に付いてくる。毎日ご飯も家族の団らんに招いてくれる。後で分かったのだが、スキーもせずに独りでいる私を、自殺しに来たのかと心配していたそうだ。よっぽど憂鬱な顔をしていたのだろう。おかみさんの優しさをちゃんと私は分かっていたかな。
この季節の街の華やかさは、真逆に置かれてる人々などいないかのようで、やるせなさと自分への怒りとで晴やかになれない。
でも、それを引き戻してくれるのが、義姉妹たちだ。彼女達こそ、年越し祝いなど無い幼少時代、どの国にいてもマイノリティの存在であるのに、憂鬱な顔どころか誰よりも笑い、楽しい誘いで周りを幸せにしてくれる。
2024年が、見えなかったものに気が付ける年でありますように。
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大晦日
義妹のアイデアで、プレゼントをここ何年、家の不用品(でも、もらって嬉しいモノ)を各自キレイに包んでゲームしながら交換することに。
ウケを狙ってどデカいものを包む人がいたり、楽しいし、何より買わないのがいい。


2024年1月11日木曜日

 





 マイナス9度の日。空気中に、小さーい氷の粒つぶが、飛び交っているよう。

2024年1月3日水曜日

 謹賀新年 2024年

昨年もたくさんお世話になりました。 本年もどうぞよろしくお願いします。
新年早々、能登半島地震はドイツでも連日報道され、阪神大震災を思い出していました。 心よりお見舞い申し上げますとともに、1日も早い復興をお祈り申し上げます。

  Wir haben über das Thema der Ausstellung gesprochen - "Dialekt". Was ist Standard? Worin besteht der Reichtum des Andersseins?  ...