昨年、私の親に予期せぬ事が起こった。
幸いにも、近くにいる妹が支えてくれているが、海外にいる自分がいかに力になれないか、そして今後やってくるだろう介護について、はじめて思い始めた。
そんな時、敬愛する岩城あすかさんの記事が目に入った。
身体障がい者の身体表現を芸術として展開する集団「態変」を主宰する金滿里(キム・マンリ)さんとの対談から、「介護」につうて考える内容だった。
ぐんぐん惹きつけられた。何よりも、「介護」を通して見えるてくるのは、未知なる自分 というトコロだ。
親だけでなく、私もどんどん衰えている。出来なくなり、見えなくなり、不安で、怖くて、けれど今までとは違う風に毎日が見えたりして面白さを感じる時もある。 助け合うことって、迷惑をかけあう豊かさって何だろうって、私も考えたいと思う。
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滿里さんのことば:
「人間が存在することの意味が180度変わらなくてはならない。二本足で歩くものだけが人間ではない。むしろ少人数といわれていても、地べたにはいつくばって、寝てゴロンとしている、地面に一番近い人、という存在から、人間の価値をつくりなおさないといけない。」
「施設」は社会の小市民たちが、ぬくぬくとした自分たちの生活を守るための安全弁。障碍を持つ人が施設に入れられる選択肢しかない現実を作っている一員だというのを直視すること。
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